「細川ガラシャ」の記事一覧

丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その1人乙姫(おとひめ)
玉手箱で知られる浦島伝説に登場するヒロイン。浦嶋子に密かに心を寄せていた亀姫であったとする説や、竜宮城の姫(室町時代以降)とする説など色々です。網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社があり、伊根町では乙姫にまつわる伝説が残り、宇良神社には「乙姫の玉手箱」や「乙姫の小袖」が残されています。

丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その一人羽衣天女(はごろもてんにょ)。
昔、磯砂(いさなご)山麓で天女が水浴びをしていると、老夫婦に羽衣を隠され天に帰れなくなりました。酒をつくり老夫婦と暮らしましたが、その後、家を追い出され、ほかの村に移り住みました。その胸中を伝える歌が「丹後国風土記」の逸文に残されています。
このほか、地元に伝承され、語り継がれてきたもう一つの羽衣伝説があります。それは、天女と夫婦になった猟師の家系を継ぐという家があるというもので、天女の娘の1人がまつられているとされる乙女神社では、お参りをすると美女が授かると言われています。
この物語の舞台となった京丹後市峰山町にある磯砂山。
その山頂は大江山・天橋立・小天橋が一望できる唯一の場所です。

丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その一人細川ガラシャ。
細川ガラシャは戦国武将明智光秀の娘で、本名を玉と言います。
織田信長の勧めで細川藤孝の嫡男忠興の元へ嫁ぎ、幸せな日々を過ごしていましたが、実父明智光秀が主君織田信長を討った(本能寺の変)事で事態は一変、玉は幽閉されてしまいます。
幽閉先が京丹後市弥栄町味方野で彼女はキリスト教に触れ、後に信仰に救いを求めてガラシャの洗礼名を授かったと伝えられています。
山奥深い京丹後市弥栄町味方野では隠棲地を示す石碑が建立されています。

丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その一人小野小町。
小野小町は晩年に都を離れ、天橋立をめざしたそうですが、途中、京丹後市大宮町五十河(いかが)の住人、上田甚兵衛と出合い五十河を訪れ、この地で亡くなったとされています。
絶世の美女は丹後半島でお亡くなりになったのです。
有名な絶世の美女は実はここ丹後半島に縁のある人物だったのです。