カテゴリー別アーカイブ: 羽衣天女

静御前~丹後七姫伝説とは

悲劇の英雄、源義経の愛妾「静御前」は網野町で生誕しました。

網野町には静御前を祀っているのが静神社があります。

静御前は磯に生を享け、父は磯野善次、「磯の衆」と呼ばれた海士の一族です。
七歳で父を失い母とともに都へ上りました。母は白拍子として有名になり、静も都で白拍子へと成長しました。やがて義経に見初められ、愛妾となりますが義経はその後、頼朝に追われる身となり離れ離れになります。

その後、疲れ果てた心身を休めるため、生まれ故郷の磯へと帰ってきました。

静神社から遊歩道でいく能舞台風の展望台から、

見渡す磯の風景は美しく切なく情緒深い絶景です。

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丹後王国の美女たち~京都北 丹後半島の宿 炭平

今日も沢山のお客様のご来丹ありがとうございます。

暑い昼間、海に飛び込みたいほどの灼熱熱風を感じます。

夜は意外に心地良い風が窓を開ければ吹き抜けています。

気が付けば、もうお盆・・・。夏も徐々に秋に傾きかけているのでしょう。

夕刻日没も19時をきり、真夏から、晩夏へ。

今日は丹後のお姫様たちのお話。

間人皇后、静御前、乙姫、羽衣天女、小野小町、細川ガラシャ、川上摩須郎女・・・

間人后

村人の心づくしのもてなしへ感謝をこめて「間人」の名を与えた母なる后。

気丈に相手を想い愛し続けた舞姫。

水江浦嶋子(のちの浦島太郎)を魅了した竜宮の姫。

美しいだけでなく、蚕飼い、機織り、米つくり、酒造り・・何でものこなせる働きもの。

今なお語り継がれる、絶世の美女・・・。   

いつ時も身分の分け隔てを超えた人間愛、優しさといたわりの心常に持ち続けたキリシタン。

 太古の時代のヒロイン 娘、孫娘は代々の后。

共通する心の強さと優しさの持ち主。いつの時代も凛と輝く日本美女がそこには存在したのだと思います。

丹後の女性の勤勉さとおおらかさ。暖かな眼差しあるひとでありたいと思います。

 

ちなみに20数年前、丹後キャンペーンで「間人皇后」を務めたのは、当宿5代目 でした。

 

今日も良い一日のおわりを・・・。

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間人温泉 炭平旅館   吉岡

〒627-0201

京都府京丹後市丹後町間人3718

tel:0772-75-0005, fax:0772-75-1476

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丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その1人乙姫(おとひめ)
玉手箱で知られる浦島伝説に登場するヒロイン。浦嶋子に密かに心を寄せていた亀姫であったとする説や、竜宮城の姫(室町時代以降)とする説など色々です。網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社があり、伊根町では乙姫にまつわる伝説が残り、宇良神社には「乙姫の玉手箱」や「乙姫の小袖」が残されています。


丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その一人羽衣天女(はごろもてんにょ)。
昔、磯砂(いさなご)山麓で天女が水浴びをしていると、老夫婦に羽衣を隠され天に帰れなくなりました。酒をつくり老夫婦と暮らしましたが、その後、家を追い出され、ほかの村に移り住みました。その胸中を伝える歌が「丹後国風土記」の逸文に残されています。
このほか、地元に伝承され、語り継がれてきたもう一つの羽衣伝説があります。それは、天女と夫婦になった猟師の家系を継ぐという家があるというもので、天女の娘の1人がまつられているとされる乙女神社では、お参りをすると美女が授かると言われています。
この物語の舞台となった京丹後市峰山町にある磯砂山。
その山頂は大江山・天橋立・小天橋が一望できる唯一の場所です。


丹後七姫

丹後地方にまつわる七人の美女の物語
その一人小野小町。
小野小町は晩年に都を離れ、天橋立をめざしたそうですが、途中、京丹後市大宮町五十河(いかが)の住人、上田甚兵衛と出合い五十河を訪れ、この地で亡くなったとされています。
絶世の美女は丹後半島でお亡くなりになったのです。
有名な絶世の美女は実はここ丹後半島に縁のある人物だったのです。